の続き。まずは山科駅へ向かいます。
草津線からの113系・117系直通列車に惜別乗車
さすがに仕事前に草津線まで行く時間はないが、朝、草津線から113系と117系が1本ずつ京都まで直通してくるのでこれを狙う。まずは山科8:24発5331Mに京都まで乗車することにした。
山科駅の同業者は数人と、最終日と思われる日な割には人は少なかった。
5331Mは113系8両。首都圏で活躍してた頃の15両編成にはもちろん及ばないが、それでも堂々たる姿は素晴らしい。
ラッシュ時ではあるがそこまで混んではなかったので、京都までの動画を撮影。途中ほとんどトンネルなのが残念であるが、MT54のモーター音を堪能する。
いろいろ改造されているうえに、抹茶色になってしまい撮影ネタとしてはイマイチになってしまった京都地区の113系であるが、それでも113系は113系。端正な姿は惚れ惚れする。しかし一番最初に湖西線に入ったのが1974年。それから1980年の草津線電化で草津線にも活躍の場を広げた後は、50年余りにわたってずっと使われてきたのはすごい。
この5331Mはこの後向日町へ引き上げるのだが、果たして夕方は出庫するのだろうか。
続いて117系を狙うべく、再び東海道線へ。少し時間があったので大津まで行き、大津8:51発5335Mに乗る。
117系も見るも無残な抹茶色になってしまったが、先ほどの113系に比べるとDT32系空気バネの滑らかな乗り心地など、かつてのエースだった頃をほうふつとさせる走りは健在。117系も気づけば40年選手なのだが、引退が勿体ないくらいだ。
5335Mで9:02に京都へ着いた後、117系は9:13発湖西線で近江舞子に向けて1往復する。このまま湖西線にも乗りたかったくらいだが、さすがにこれに乗ってしまうと仕事に支障が出るので断念。ワーケーション先へ向かいます…。
3月31日夕方運用に入った113系・117系
さて先に書いた通り、この日の夕方車庫から出る運用に入るかどうかで今日限りなのかがわかるのだが…なんと、夕方出庫運用に軒並み113系・117系は入ってきた。なので、少なくとも引退は4月1日以降になるようだ。
ということで、ワーケーションは早々に切り上げまして(苦笑)夕方の運用も狙うことにする。
京都18:03発5372M柘植行草津線直通列車も所定の113系4両であった。北陸に向かう特急列車が主に利用する0番線に入る113系。編成長こそ短いが絵になる姿だね。
中間車は未改造のボックスシート車であった。懐かしい光景だね…。
この柘植行に乗って山科まで一駅乗車した後、湖西線で大津京へ。
短い区間ではあったが、東海道線とはまた異なる湖西線の疾走を味わう。
山科で席が空き、転換クロスシートの乗り心地を愉しむ。今となってはちょっとへたれた感じのシートであるが、初めて乗った時はなんて素晴らしいと思ったものだ。
18:47京都着後、一旦車庫へ引き上げるが、この117系も結局柘植行の運用に入ったので、翌4月1日にも運用に入ることが確定した。ただ、柘植行運用にて117系柘植行の最終運用というアナウンスがあったようで、どうやら運用最終日は4月1日のようだ。
このあたりは、2011年8月末までと言われながら翌9月1日まで走った房総ローカルの113系の頃を思い出す。自分はその時見に行けなかったのよね…。
4月1日午前の113系・117系最終運用に惜別乗車
翌4月1日朝。この日は花見の予定だったが、無理やり朝だけ時間を作って再び惜別乗車することにする。
昨日も行った山科駅へ。昨日も撮った113系5331Mを再び狙う。
昨日よりは少し同業者はいたけれど、東海道線や房総の113系引退時なんか比ではない少なさだった。もう113系好きはいなくなってしまったのか、サイレント引退効果なのか、抹茶色だからか、理由はいくつかあるのだろうけど、人が少ないのはそれはそれでありがたい。
土曜なので車内の雰囲気も昨日よりは少し落ち着いており、MT54のモーター音をじっくりと愉しみ京都へ。
京都駅で最後の記念撮影。先頭車同士の連結写真も、もう撮れる機会はほとんどないだろうなぁ…。
向日町への引き上げを見届けた後、再び山科へ。今度は117系の5335Mを狙います。
この5335M、山科発車後に琵琶湖線最終運用である旨のアナウンスが流れていた。いよいよ最後なのね…。
ただ、京都で運用差し替えがなければこの117系は近江舞子までもう1往復するはずなので、山科までは琵琶湖線あと1往復走るんだけど…ってのはヤボなコメントか。
京都駅はさすがに117系狙いの同業者が多くいた。ただ全然激パではなかったな。
本当は近江舞子まで行きたいところだったが、さすがにそんなことしたら何しに京都へ来たのかわからなくなるので9:12発2812Mを見送っておしまいとする。
抹茶色になったとしても、117系の格好良さは全く色あせることはない。70年代後半生まれの自分にとっては、117系シティライナーは近郊型電車のエース格として憧れの存在であった。乗る機会は多くはなかったけど、これまでお世話になりました。
結局、4月1日夕方向日町から出庫する運用から221系等に差し替えが入り、JR西日本からも公式アナウンスのとおり、この日をもって113系・117系の運用は終了した。
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— JR西日本ニュース【公式】 (@news_jrwest) 2023年4月1日
ありがとう
113系、117系
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京都南部・滋賀エリアで運行している113系電車、117系電車が引退します。
かつては、JR京都線、JR神戸線など、広範囲で活躍していた電車で、多くのお客様にご利用いただきました。
お疲れ様でした。#ありがとう113系#ありがとう117系 pic.twitter.com/LB8HW7NAXJ
しかし国鉄分割民営化から早36年。いよいよ国鉄型電車も先が見えてきた感じがしますね…。
昔の117系の写真
今回、たまたまこの2日間京都へ行く用を立てていて113系・117系を見送ることができた自分はラッキーだったのだけど、返す返すも残念だったのは、113系湘南色や117系国鉄色にリバイバルがなかったことだ。そんなことをしたら人が殺到して今回みたいにじっくり見送りなんかできなかっただろうけど、特に117系はもう一度あのクリームと茶色の格好良い姿を見たかったな。ということで、昔の写真を少し貼ってみます。
自分が本格的に一人旅をし始めた90年代前半は既に117系新快速は221系にほぼ置き換わってしまい、朝夕の1本しか走ってなかった。その117系新快速をどうしても見たくて、93年に米原から大阪まで117系に乗ったときの写真です。ただ、なんでこんな変なアングルなのか…。
あと、大垣夜行からの乗り継ぎ(たしか米原7:00発だったはずなので名古屋から米原まで新幹線でワープしたはず)だったので、せっかく乗ったのに大阪までほとんど寝てた記憶があります…泣
1998年頃、奈良線快速で運用されていた117系。既に種別幕は新しいものに変わってしまっていたが、一部福知山色も入ってたけど国鉄色が多く使われていて格好良い姿を拝むことができた時代です。
ただ奈良線も2001年に221系に置き換わってしまった。というか置き換わってからもう22年も経ってるのか…それがびっくりですわ。