の続きです。
平安京創生館の平安京復元模型
御土居そばの土天井町バス停から市バス6系統に乗り、千本丸太町へ。そこから丸太町通を少し西に歩いた先にある京都市平安京創生館が次の目的地である。
このあたりはかつての平安京の中心、大内裏があったあたりであるが、右京は次第に廃れ、御所も引っ越してしまい現在の京都は左京が中心となっていて、観光的にはあまり訪れることもないエリアとなってしまっている。
しかし平安宮造酒司跡にある平安京創生館に、平安建都1200年記念事業の一環として縮尺1/1000の復元模型が常設展示されている。しかも料金は無料!ということで今回やってきた次第である。
平安京創生館は京都市生涯学習総合センター(平安アスニー)の1階にある。図書館があったりするので地元の人が出入りしていたが、平安京創生館は観光客もまばらであった。
さて、早速復元模型を見ることにしましょうか。
おおっ!想定よりもスケールが大きくてびっくりです。
南北11m、東西10メートルもあるそうで、これはすごいや。
まずは南側から大内裏を臨む。平安京の真ん中を突き抜ける朱雀大路の入口に立つ真ん中の門が羅城門。左右対称に位置しているのが東寺と西寺である。東寺は今でも残っているが、羅城門や西寺は今はない。
視線を下げるとなお面白いということで屈んでみる。東寺や西寺の五重塔や羅城門の高さがよりクローズアップされて迫力がある。この頃の京都の街は寺以外に高い建物はなかったようなので、五重塔からの景色はさぞや絶景だったのでは。
大内裏のあたり。このあたりは今は住宅地でわずかな遺構以外は何も残っていない。1200年の歴史とよく言うけれど、京都は実は1200年前の右京の衰退や、応仁の乱で焼き尽くされたこともあり、1200年前から残る建物は実はほとんどない。この頃の京都の街並みを一度見てみたかったな。
嵐山はこの頃から見ると郊外どころか別荘地という感じだったのだろうね。ただ家がないだけでなんとなく今でもその面影はあるように思う。
東山のあたり。真ん中の縦に長い建物は三十三間堂。今に残る数少ない建物だ。ただそれ以外は全く今の街並みとリンクが取れない。三十三間堂の南の池なんて今どこだろう。そう考えると、今の京都人の所詮300年ほどの歴史なんか1300年の歴史を誇る奈良人からしたら何言っちゃってるんだという感じなんだろうか。
岡崎エリアも今とは全く姿かたちが違う。ここには法勝寺という白河天皇が建立した大きな寺があり、なかでも八角形の九重塔は高さ81mと、東寺の五重塔もびっくりの高さがあったという。
腰を屈めて見ると、その高さがより際立って見える。このジオラマからですら絶景なのだから、さぞや実際の景色は見事だったのだろう。
平安京創生館には法勝寺の復元模型も展示されている。いや、これホント見てみたかったな。誰か、復元してくれないかなぁ…。
この平安京創生館の復元模型、想像以上に面白かった。今の地図を叩き込んで比較してみると、京都の街がどう変化していったのかがわかって実に興味深い。ガイドさんがいて歴史を解説してくれるサービスもあり、何時間いても飽きないと思う。京都初めての人にはあまり向かないだろうが、リピーターの人はぜひ訪れてみると良いのでは。
法輪寺からのパノラマを堪能
丸太町七本松から市バス93系統に乗り、嵐山へ。
渡月橋付近は多くの観光客で賑わっていた。それほど暑くもなく、見上げれば見事な青空!空の高さが秋の気配を感じさせてくれますな。
今日は渡月橋を渡って、阪急嵐山駅の奥にある法輪寺という寺に行く。
713年に行基によって建立された由緒ある寺だそうだ。
境内に入ると長い階段が待っている。風情ある景色だがちとしんどい。
しかし上った先には…。
京都盆地を一望できる大パノラマが待っていた。先ほど渡った渡月橋や嵯峨野の街並みから、遠くは東山の峰、そしてその手前には京都タワーまで。晴れ渡る京都の景色をのんびりと愉しむ。
嵐山の中では法輪寺はそこまでメジャーな存在ではなく、自分も今まで来たことなかったのだけど、ここは人も少なく嵐山の喧騒から離れて過ごすには絶好の場所ではないかと思います。