午後はクルマを南部に走らせ、娘の平和学習の時間としようと思う。
まずキャプテンズインを出て、15分ほど走らせた先にある旧海軍司令部壕に向かう。
実はここに来るのは初めて。こんな市街地の近くに戦跡があるとは知らなかったです。
ビジターセンターで当時の海軍を初めとする沖縄戦の歴史を学び、長い通路を下って司令部壕に向かう。
中はかなり奥まった先まで広がっており、しかもすべて手掘りという。 あの戦禍の中よくこんな場所を作り上げたものだと思う。
幕僚室には手榴弾での自決のあとが生生しく残り、司令部室の花が無言で訴えてくる。
展示の最後には「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と言う有名な文が綴られた大田指令官の電報が掲げられていた。 一般に沖縄における日本軍の扱いは良くはないものと思うのだが、この電報のせいか、比較的この壕は大事に扱われているような感じがした。 娘も一所懸命に読んでたけど、何か感じ取ってくれたかな。
それほど広くはなく、見学に1時間もかからない施設であったが、当時のままの壕は静かに訴えるものがあり、なかなか胸に刺さるものがあり、来て良かった。
しかし、驚いたのはこんな壕の中にkaigungo-free-wifi(確か、若干SSIDはうろ覚え)が飛んでいて、中からツイートできるようになってたこと。これにはびっくりである。今が平和なのは本当に幸せだ。
旧海軍司令部壕を後に、クルマを一路南に進める。 サトウキビ畑が広がるようになった頃、次の目的地、ひめゆりの塔に到着。
入口で花を買い、娘とまず慰霊碑に献花。
隣接するひめゆり平和祈念資料館に入る。ここに来るのも2003年以来13年半ぶりであり、2004年のリニューアル後は初である。
往時の生徒たちの生活から始まり、学徒隊の結成、南部撤退、そして解散命令からの痛ましき最後まで、戦争の痛ましさがこれでもかと伝わってくる。 中でも第四展示室の「鎮魂」は、約200名もの犠牲者の遺影が並び、彼女たちの無念さをひしひしと感じる。 娘もじっと生存者の証言を読んでいたようだ。
少々ぐったりして資料館を出ると、中庭に咲く花々が優しく出迎えてくれる。 本当に今が平和なのは幸せだ。戦後70年、この幸せが未来永劫、娘たちの時代にも続くよう、我々は語りづがなければならないのだと強く感じた。
ただ、南部エリアにはひめゆりの塔以外にも学徒隊を初めとする鎮魂の碑は沢山ある。 帰ってから知ったのだが、駐車場の隣にも私立昭和高等女学校の生徒を祀る梯梧之塔があるそうだ。 今回は時間がなくて行けなかったが、次回はぜひ時間を作ってすべての学徒隊の慰霊碑を巡ってみたいと思う。
さて、時刻は16時20分過ぎ。レンタカーの返却時刻までは17時過ぎまでなので、急いで戻ることにしよう。
最後に、今回一度もビーチに行ってなかったので、豊崎美らSUNビーチに立ち寄った。
ここは埋立地にある人工ビーチで、しかもあいにくの曇り空なので海の色はくすんでいたが、それでもエメラルドグリーンの綺麗な海はまさに沖縄!
風も強かったのでわずか10分余りの滞在ではあったが、平和に海と接するありがたみをひしひしと感じつつ、一路赤嶺駅近くのレンタカー屋へ向かう。
無事時間通りレンタカーを返却し、送迎バスで那覇空港へ。 今回はほぼほぼ出発前に組んだスケジュール通りに事が進み、満足のいく旅になりました。
あとは帰るだけです(泣)