たまの日記

最近は弾丸旅行ばかりです。

ホーチミン弾丸1泊2日旅行(7):市内観光

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の続き。

メコンデルタクルーズツアーがだいぶ早く終わったので、市内観光の続きと行きましょうか。

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まずバスを降りたベンタイン市場を散策。ここは食料品、衣料、雑貨まで何でも売っているホーチミン最大の市場である。

面白いものが売っていたらお土産でも…と思っていたが、ごちゃごちゃしまくっている上に客引きも多く、端から端まで歩いておしまい。

最近、ベトナムは雑貨ブームで日本人女子に人気の旅先らしいが、彼女たちはこういう市場にも押しかけ上手に買い物をしていくらしい。そんな肉食系女子に比べると自分なんか弱弱しい草食系だわ(苦笑)

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ということでちょっと歩いて次の目的地へ。

タクシーを使えばすぐなんだろうが、ぼったくりとかを考えると利用する気にならず今回は結局1回もタクシーを使うことなく過ごした。

緑が多いのでそんなに苦痛ではなかったが、暑い東南アジアの街らしく歩いている人はまばらであった。

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やってきたのは統一会堂ホーチミン観光では外せないスポットである。

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ここは南ベトナム政府の大統領官邸だったところで、貴賓室、会議室、国書提出室などの部屋をめぐる。

残念ながらガイドもいなかったので見て回るだけだが、贅を尽くした部屋の豪華さには目を見張るとともに、南ベトナム政府の虚構を感じずにはいられない。

そしてこんな国が米国の支援を得ていたというのも。共産主義反共主義かという時代ではあったわけだが、今になって思えばもう少し多角的な見方もあったろうにと思う。

ただ一つ難点なのは、この部屋にはクーラーがないこと。風通しは比較的良いが、上下の移動はもちろん階段だけなので見学は結構しんどい。

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上層階は庭園があったり、大統領寝室があったり、遊興場など、いかにもこの年代の政権っぽい施設を見学する。

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最上階のヘリポート、そして展望室からサイゴン陥落の舞台となったレユアン通りを眺める。

自分はまだ生まれていなかったが、わずか40年ばかり前の話だ。

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最上階から地下に降りるとこれまでとは一転、指令室や通信設備などが並び物々しい。

煌びやかな地上階とのアンバランスさが強烈だ。

迎賓館的な場所なのであまり面白くないかなと思ったのだが、ベトナム戦争における南ベトナムの時代を無言で語りかける施設としてなかなか興味深かった。

引き続いて少し歩いた先にある戦争証跡博物館へ。

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統一会堂とともにベトナム戦争を学ぶには欠かせないスポットである。

入るとまずは全世界の反戦活動記録が並んでいて、日本のコーナーもあった。

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お馴染みピースポールもありました。

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(クリックで拡大)

が、このポスターは今見るとなんというか単なる反共の名のもとに左派が暴れまくっていたとしかいいようのない感じで、この時代を知らない自分からすると何だかなぁという感じである。

アメリカももう単に反共だからって理由だけじゃなくて南ベトナムをもうちょっとコントロールすりゃ良かったのにって思ったのであるが…。

続いて2階の展示室へ。ここはクーラーが効いていて助かる。

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ベトナム戦争の代表的なピュリツァー賞を受賞したこの写真は実は日本人ジャーナリスト沢田教一氏の撮影のものである。

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ここに展示してあった写真はかなり強烈な物ばかりで、自分は比較的当たり障りのないもの以外は写真を撮る気になれなかったが、それだけ心にストレートに響くものがあった。

日本の戦争関連施設も表現の制約なんかとっぱらってこの位やった方が逆に教育になるんじゃないかと思う。

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そして枯れ葉剤の被害。

日本では2枚目のベトちゃんドクちゃんが有名であるが、それ以外にも多くの人が被害を受けている。

1枚目の写真に映っている少年は枯れ葉剤の撒かれた土地の上を素足で歩いたため、重篤な後遺症に悩まされ数年前に亡くなったという。

これを主導したのが南そしてアメリカというのが恐ろしい。

当時のアメリカは重大な奢りをしていたとしか思えないし、何の責任もない一般人をこのような手段で被害を与える手法は断じて避けなければならない。

博物館に入った時は1階の展示を「うーん」と思うくらいだったのを恥じた。

サイゴンは皮肉にもホーチミンシティに名を変え、反共だった政権はドイモイ政策で市場開放を進め、米国とも国交を回復したのは歴史の皮肉であるが、こういう話が出来るのも人類が平和であることがまず大事だと切に思う。

ここは白人たちが多くいたが、彼らにはどう映ったんでしょうね。

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入口の子どもたちの平和を願う絵にほっと安堵する。

この博物館もありきたりの戦争ものの博物館なのかなぁと思っていたのであるが、自分はとても面白かった。

雑貨とグルメで過ごすホーチミンも面白いが、多少でも歴史を知ってここを訪れるだけでもまた違うのだろうと思う。

ただベトナム戦争は一般的な冷戦だけではなかなか理解できない部分もあり、自分も十分理解できたかは怪しい。幸いまだ年月が経っていない上にテレビ等のリアルタイムの記録も多く残っているので、今度調べてみようかなと思います。

ということで、充実した市内観光を終え、ホテルへ向かいましょう。

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ちょうど夕方のラッシュの時間帯で、道路はバイクだらけ!

自分は排気ガスには強いと自負していたつもりだったが、さすがにここホーチミンで1日歩いていたらのどが痛くなったですよ…。

まあ、これも平和の証ですけどね。

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そんな平和なベトナムであるが、一応社会主義国家なので街のあちこちにはこんなプロパカンダ広告がある。

でもなんか間抜けというかカワイイイラストでほんわかしていてどれだけ意味があるんだろう?って気がするけどね。

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朝訪れた聖母マリア教会の隣にある中央郵便局に立ち寄る。

ここもフランス統治時代の建物で、中に入ると優雅なアーチ状の屋根が目を引く。

一番奥にはここにもホーチミン像が。

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入口には古めかしい電話ボックスがあったが、格好の写真撮影スポットになっていた。

一昔前だと自分も海外旅行中に郵便局などの電話ボックスから電話をするというのはよくやっていたのだが、今や携帯はつながるしiPhoneでグーグルマップを見ながら散策できる。便利な時代になったものだ。

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市民劇場を通り、店がオープンして賑やかなドンコイ通りを進み、いよいよホテルへ向かいましょうか。

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