の続き。
下りホーム脇の作業坑から、展示場となっている避難所へ向かう。
竜飛海底駅の構内図はデフォルメされているものが多く、どこに進んでいるのか案内中はよくわからなかったのだが、恐らく一番正確っぽいJR北海道のページの図を引用させていただく。
これはケーブル斜坑。この後乗る体験坑道のケーブルカーとは別物でややこしいが、資材の運搬などで使われていたもの。
この吹き付けコンクリートは青函トンネルの工事にて技術開発が進んだものだという。
ここで作業坑とわかれ、左手へ向かう。
右手の作業坑は本線トンネルに沿って吉岡海底駅まで続いているが、過去にはここを歩いて通るイベントがあったそうだ。 へぇそうなんだ…と聞いた時は思っていたが、戻ってから調べると青函トンネルウォークなるイベントは過去何回も行われていて、直近では2010年に東北新幹線新青森開業を記念して行われたようだ。知りませんでしたよ…。
まあ知っていたとしても海底部をひたすら23.3km歩くのはかなりしんどいので行ったかどうかは別問題であるが、いかに青函トンネルについて興味を示したふりをしてしていなかったのか…と反省。
青函トンネルの心臓部とも言えるポンプ場。現在も続く漏水に対処し続けている。
この通路は資材運搬に使われていたであろうトロッコの線路が朽ち果てた状態で放置されていた。 そんな状態ではなかっただろうが、トロッコに乗ってみたかったなと思う。
しばらく歩くと、避難所に到着。1000人もの人を一時退避する能力があるが、もちろん使用実績はなく、普段は展示場として使われている。
避難所用のトイレも完備されているが、通常は使用されない(別途見学者用のトイレはある)
魚が泳いでいたであろう竜宮水族館、地上の景色を見ることのできる装置などがあったが、前者は水槽を見てもなにもおらず、後者は錆ついていて壊れていた…。 もうおしまいですね。。。
案内図を見ながら、ガイド氏のレクチャーを受ける。 人が多いのと写真を撮るのに忙しいのでところどころしか聞けなかったが、とにかくこんな海面下にこのような巨大構造物を作るとは頭が下がるとしか言いようがない。技術者のロマンを感じる。
そしてその設備をもう見ることが出来ないというのが残念で仕方がない。実にもったいない。 今後も何かの機会には公開を続けて欲しいものだ。
避難所に飾られていた1983年の先進導坑貫通、1985年の本坑貫通、1987年の試運転の写真を眺める。 1983年の貫通は幼稚園児だったが、テレビで見た記憶がある。子どもながらにすごいなと思ったものだ。
それから早30年、1988年の開通から四半世紀である。時が経つのは早いものだ。
電話ボックスがあった。もちろんちゃんと使えるそうだ。
避難所を過ぎると風門を過ぎる。ここは地上からの風を遮断するために二重扉になっている。
抜けてこの扉を過ぎると、体験坑道の入口である。
新幹線開業後も、青函トンネル記念館からここまでは来ることが出来るそうだが、竜飛海底駅から来てしまうと中途半端さが否めないなぁ。
体験坑道には実際に使われていた坑道の車両などが展示されているが、個人的に目を見張ったのは水圧に勝つセメントミルク。このような経験を積み重ねることでトンネルはできたのだ。 歴代の技術者達は本当に素晴らしい。 そして昭和51年の大出水にも全力で対処した作業者たちも。
体験坑道の展示を抜けると、ケーブルカーの駅に到着。
14:12発の登りに乗りこむ。 778mを7分かけて登る。警報音を鳴らしながら進むので、どこかのダンジョンにいるかのようだ。
あっという間に海面下150mから地上の世界へ…。
青函トンネル記念館駅へ到着。窓から見える地上の光が眩しいが、風が吹き込まないように坑道の扉が閉まらないと外に出ることはできない。 しばらく待って、外に出ます。 (つづく)