たまの日記

最近は弾丸旅行ばかりです。

THE FINAL!! 113! 外房線の旅(復路)

外房線コースは13:18の出発まで1時間半ほど自由行動なのだが、30分後に内房線コースの113系がやってくるので、ほとんどの人はホームに残る。 果たして、2番線にやってきた113系は… 110924_031.JPG 来ました、快速「青い海」!! 昨年リバイバル運転した白い砂に対し、青い海は正真正銘今日が最初で最後。 このためだけにヘッドマークを用意するとは、千葉支社に感謝である。 110924_032.JPG 110924_033.JPG ひとしきり写真を撮った後、あまり時間はないがせっかくなので少し外を歩くことにする。 12年前の総武快速の団体ツアーは横須賀で4時間ほどあって、それでも時間がないなあと思いながら、まあ一般人でも何とか散策できるほどの余裕はあったのだが、最近の団体はもはや現地で何か金を落としたりすることは期待されてないらしい…。 110924_034.JPG 駅の発車票は列車名が両方ともきちんと表示されていて、いい記念になった。 110924_035.JPG 110924_036.JPG 駅の西側をちょっと歩くと北条海岸はすぐ。 海は穏やかで散策には秋晴れが気持ち良いが、秋の3連休なのに人はまばらだった。 もう、113系で海に来ることもないんだなあ…。 13時前に駅へ戻る。 110924_037.JPG 結局内房線コースの113系は電留線には引上げないようだ。 実は9月末で外房・内房線から撤退する希少価値の高い211系が1番線から出発し、13:08、いよいよ… 110924_038.JPG 「白い砂」「青い海」の並びです!! 最後は8両1本しか稼働してなかったので並びですら久々だというのに、両者とも千葉伝統、さらに由緒ある「白い砂」「青い海」のヘッドマークの並びとは、ホント感動です。 最後の最後で素晴らしい場面に出会えて、幸せに思います。 110924_039.JPG 110924_040.JPG 110924_041.JPG 館山駅ホームは多くの人の興奮に包まれていました。 2編成が並んだのはわずか10分足らずであったが、ホント、素晴らしかった。最高でした。 13:18、定刻、内房線コースの人や撮り鉄さんに見送られて館山駅を出発。 いよいよ、最後の旅路です。 見事な秋晴れの中、豊かな海、収穫を迎えようとする田畑を眺めながら113系は淡々と両国へ。 疲れが出てきたからか、車内も寝ている人もちらほらでちょっとけだるい雰囲気。 房総一周するときとか、この時間をぼーっと113系に乗って過ごすのが何とも言えない幸せでした。 110924_042.JPG 有名な撮影地、房州大橋をゆっくりと通過。 外房線に入り、海とトンネル、入江に集まる集落を見ながらゆっくりと進んでいく。 本当に今日が最後だというのが未だに信じられないのだが、御宿を過ぎ、太平洋ともいよいよお別れ。 15:05、はだか祭りで賑わう大原着。ここでは30分の大停車となり、撮影や休憩タイムとなる。 もうこの編成は撮りまくってはいるが、ホームに降りて最後の写真撮影。 110924_043.JPG 110924_044.JPG ふと前面を見ると、前面方向幕の幕回しが始まったようだ。 正直、あんまり前面方向幕には興味がなく、側面方向幕を回してほしかったのだが、今回は一切なかったのが残念であった。誤乗を招くからできないのだろうか。 余談ではあるが、横須賀線を含む今回、数え切れないお手製サボを差す人が多く、それを多くの人が写真に収めていたようだが、横須賀線総武快速線は方向幕を本格的に採用しサボを廃止した113系1000'番代 の印象が大きく、また房総ローカルは非冷房だった頃サボは使っておらず、113系とサボは縁遠い存在のはずで、何でみんなそんなに熱狂するんだろう、と自分は冷めて見ておりました。 そんなわけではあるが、前面方向幕回しで見たい幕が2つありました。 110924_045.JPG 110924_047.JPG まずは横須賀線総武線幕。現在もE217系には残っているが、やっぱり113系が元祖だけあってよく似合う。 同じ113系でも15両、グリーン車付き全車冷房車の「横須賀線総武線」は、房総ローカルとは全く違う魅力を持ち、輝いていた。 ホントはこれを当時現役だった1000'番代や1500番代で見たかったが… 110924_046.JPG 110924_048.JPG そしてもう一つは「快速」幕。1980年に横須賀線と直通する前の総武快速線はこの幕だった(正確に言うと、1981~1982年頃までは使われていた記憶、写真などがあるが)。 自分は幼稚園児だったと思うが、かろうじて見た記憶がある。 こちらもこちらでシンプルな赤字が格好良くて好きだった。 110924_049.JPG さて、30分の停車時間は終わり、いよいよ出発。 運転停車を除けば、いよいよ次は終点両国である。 ついこの間までいつも通り走っていた113系。今日が最後だというのに気にもしない人が大半ではあるのだが、中には手を振ってくれたりする農家の人とかがいるのが嬉しい。 上総一ノ宮を過ぎると、住宅地が増え、徐々に撮り鉄さんが増えてきた。 そんな中、八積付近だったか、大きな絵を掲げながらお別れをしていた一家がいた。 その絵には、子供が描いたらしい113系の大きな絵と「ありがとう」、それから「だいすき」と…。 その可愛らしい字、一生懸命書いただろう絵、「ありがとう」は数え切れないくらい見たのだけど、意外に見たことのなかった「だいすき」という字には心に響くものがありました。 そう、自分も「大好き」だったんだよなぁ…。 幼少より総武線沿いに住んでいた自分ではあるが、快速の止まらない下総中山育ちだったので113系との本格的な付き合いは佐倉に引っ越して船橋から快速に乗れるようになった1983年からだったのだが、自分の人生は113系とともにあったことは間違いない。 中でも、私事ではあるが、1987年~1989年と、受験勉強のため毎週都内へ通っていた帰り、錦糸町16:27発の津田沼行快速で小岩の大カーブを突っ走り、下総中山で先行の緩行線を追い抜くその走りに惚れたこと、1995年~1999年と、大学時代に船橋~品川間を毎日通い、E217系に浸食されながらも毎日毎日113系に入り浸りながら通っていた日々は本当に忘れられない。 今思うと、おまえは本来業務を忘れて何やっていたんだと言われそうだが(笑)本当にお世話になりました。 それがあと2時間もしないでおしまいとなる。それが本当に寂しい。 茂原、大網と撮り鉄さんは8月の定期列車並みだったのだが、誉田あたりから青い海との掛け持ち部隊が集結したからか、一気にホーム端が人で埋まるようになった。 そして蘇我で発車票を再び眺め、千葉駅へ。 110924_050.JPG 一昔前は3~10番線どこを見ても113系がいたものだが、もう今日のこの列車が最後である。 千葉駅もペリエが建て替えとなり、きっと大きく変わっていくのだろう。 何で一度3階に登んないといけないのだろうと思うけど。 千葉を出発し、複々線区間を快走する。 幕張には、残念ながら今回の引退イベントでは出る幕はなかったが、1972年以来ずっと幕張で活躍を続けてきた211編成の姿を見ることができた。 110924_051.JPG 秋の夕暮れは早く、段々撮影が厳しい時間になってきたが、各駅には多くの人が集まっていた。 船橋を通過し、複々線を快走する姿は、かつての自分の青春そのもの。 でも、これでおしまい…。 2011.09.24 THE FINAL!! 113! 9224M・西船橋~本八幡走行シーン 小岩駅を過ぎると、さよなら放送が流れた。 残念ながら撮ってないが、Youtubeでは聞くことができる。(→こちら113系を130系とか言ったりして、名台詞があったわけではないが、「お名残りほしいと思いますが、そろそろお支度を…」とか「至らなかった部分もあったかとお詫びを申し上げますが…」とかいう率直な言い方が印象に残った。 朝、怒号が飛び交う両国駅が遠い昔のようだが、本当に今日は素晴らしかった。1日電車に乗っているだけだったが、乗車できて本当に良かったと思う。 なお余談ではあるが、さらばスカ色113系の長野到着前の放送もYoutubeで聞くことができる(→こちら)が、こちらは113系にゆかりのある自分と世代が近い社員と見え、非常に共感を覚える放送で、とても感動した。 これを聞くだけで22000円払ってもいいくらい良かったので、113系を慕う方はぜひ聞いてみると良いと思う。 110924_052.JPG スカイツリーが見えると、もうすぐ両国。 錦糸町を通過し、いよいよあと1駅である。 そして、ゆっくりと3番線ホームへ…。 110924_053.JPG 110924_054.JPG 3番線ホームの多くの出迎えを受け、定刻17:10、ここに房総の113系はその役割を全うし、両国駅へ到着した。 110924_055.JPG 110924_056.JPG 110924_057.JPG 両国駅は大混雑。中でも千葉方はロクに写真を撮れないような感じであったが、とりあえず列をかき分けて写真を撮る。 しかし、唯一違うのは方向幕が「回送」であること。(結果的には10月15日にもう1回乗れたのだが)もう乗れない列車なのだ。 駅の慌しさに戸惑っている間に、刻一刻と、お別れの時間は迫ってきた。 そして定刻17:20を少し過ぎた頃、113系はゆっくりと、両国駅を後にした。 2011.09.24 THE FINAL!! 113! 回9325M・両国駅出発シーン ホームは「ありがとう!」「おつかれさま!」と言った掛け声がかかる。 こんなに愛された電車があるだろうか、と嬉しく思うも、正直電車に声をかけるのは何だかなぁと思った。 特にこの編成は元々は2006年3月の東海道線の最終運用を務めたK69編成の残党で、その後房総へ移ったわけでスカ色の活躍はわずか5年に過ぎない。 113系は総勢2700両、首都圏に在籍した1500両以上の一群の活躍あってのもので、この4両が全てではないのである。 ではあるが、ホームを出たその時、大きな長い警笛が… それは、ここにいる全てのファンの別れに対する113系の挨拶であっただろうに違いない。 例え車掌のファンサービスであったとしても。 これには、本当に感動した。 電車如きにここまで感動するとは、自分も歳をとったのだろうが、今までの思い出が蘇り、熱くくるものがありました。 長野では掛け声もなく、静かな見送りだったようで、それはそれで素晴らしい最期であるが、この両国の最後は実に印象深く、本当に立ち会えて良かったです。 残念ながら警笛が鳴る前に動画を止めてしまったので、興味のある方はYoutubeの他の動画でもどうぞ。(→こちら) これには、自分が一瞬映りこんでますが(苦笑) 110924_058.JPG まだ興奮の余韻が残る3番線ホームではあるが、駅を後にして家路についた。 森下駅への足取りはとても重く、どっと力が抜けた。 大げさではあるが、一時代が終わった感じがした。 そんなわけで、もうすぐ1カ月になろうとしていますが、今思い返しても素晴らしいイベントでした。 千葉支社には感謝したいと思います。 本日現在、この116編成は長野の廃車置場におり(→こちら)廃車置場に残る数本の113系も解体、消滅が時間の問題ではありますが、113系の思い出は、自分の心の中で永遠に残っていくでしょう。 本当にありがとう。大好きでした。