の続き。
新竹の市街地をぶらぶらします。
台湾で一番古い駅舎、新竹車站
まずは列車を降りた新竹駅です。
台湾の日本統治時代の駅舎としては台中駅が有名であるが、新竹駅の駅舎はそれよりも古く1913年に作られた現存している台湾最古の駅舎である。バロック建築とゴシック建築が織り交ぜられた趣のある駅舎は、東京駅とも姉妹駅舎になっているという。
何より素晴らしいのはこの駅舎は今でも現役であること。日本の地方都市の駅のような雰囲気の駅構内は列車を待つ客でにぎわい、今でも街の玄関口として活躍し続けているのは嬉しい限りだ。
城壁都市の跡を歩く
新竹の市街地は、駅の北側に広がっており、駅を中心に放射状に道路が延びている。横断歩道を渡って少し歩くと、護城河と呼ばれる川が見えてくる。これは昔城壁があった跡地に設けられた濠であり、現在は「護城河親水公園」と呼ばれる緑地となっている。豊かな緑に囲まれたゆったりとした空間がとても気持ちが良い。
川沿いを歩くとロータリーに突き当たる。ここには清朝時代の城門で新竹のランドマークともいえる「迎曦門(げいぎもん)」の城楼が出迎えてくれる。
清国統治時代の新竹は、城壁に囲まれた城郭都市だったという。当初は東西南北設けられていた城門であるが、現在はここ東門(迎曦門)が唯一残されている。どっしりとした外観の楼閣の基礎となる石材は中国大陸から運び込まれたものが用いられたそうだ。
ロータリーの中は自由に入ることができ、市民の憩いの場にもなっているようだ。IT企業が集まる大都市とは思えない、のんびりとした雰囲気だ。
日本統治時代の建物を巡る
ここからは日本統治時代の建物が集まるエリアを歩きます。
東門のロータリーを後に中正路を先に進むと「新竹市立影像博物館」が見えてくる。ここは1933年台湾で初めて冷房設備が整った2階建ての映画館で、「有楽館」という名で親しまれていた。ここは映画文化をテーマとする博物館となっており、昔の映画と思われるポスターが風情があった。外観とてもシンプルだが、それがまた良い。
続いて見えてくるのが「新竹市政府」。ここは日本統治時代の1926年に建てられた新竹州庁舎で、今でも現役で使われている。役所らしい荘厳な外観の建物は煉瓦造りで洋風なデザインであるが、よく見ると屋根が瓦葺き屋根で和洋折衷の作りになっている。
中に入ることができたので建物内をちょっと見学。重厚な雰囲気のホール、そして階段やアーチ形の廊下ががとても立派だ。2階には市長室があり、その隣の部屋では普通に会議が行われていた。今でも現役で使われているというのは本当に素晴らしい。
市政府の隣にある「新竹市美術館」は、かつて新竹市役所として建てられたもの。こちらは先ほどの市政府に比べると小さな建物であるが、市政府同様、和洋折衷で風格のある建物だ。
市政府の前に建てられている「新竹警察署庁舎」も日本統治時代の1935年に建てられたもの。当初は鉄筋レンガ造りの2階建てだったが現在は3階建てに増築されているが、建築時の警察署の雰囲気は変わらず今に伝えている。
中山路を挟んで警察署と反対側には消防署が対峙している。こちらも日本統治時代の1937年に建てられたもので、無骨であるが立派な外観の6階建ての建物は当時新竹一高く、最上部には櫓があり今でも鐘が残されているという。現在は消防博物館となっているが、長期休館中で中の見学はできなかった。残念。
警察署の先、中山路沿いにある「新竹第一信用合作社」も、日本統治時代の1934年に建てられた建物である。鉄筋コンクリート3階建ての1階がアーケードとなっている台湾らしい建物は、壁一面にタイルが貼られ、アーチ形の窓がシンプルながらもモダニズム的な風格を出している。この建物も現役の建物だ。
北門街は昔ながらの建物が残る趣のある通り。大正時代に整備された、バロック調のアーケードが今でも見ることができる。建物正面上部に設けられた細やかな装飾が印象的だ。
屋台と一体となったユニークな新竹城隍廟
中山路と北門街が交差する「新竹城隍廟」に向かいます。
新竹城隍廟は清国統治時代の 1748 年に創建された、信仰の中心として賑わう廟である。広場には多くの人が集まっているが、ぱっと見た限り屋台が集まる場所であり、廟があるようには見えない。廟はこの通路を入った奥にある。
中に入ると豪華な装飾が施される廟が見えてくる。天井の装飾が特に見事で、重厚な雰囲気が感じられる。
ここには左右の棚に沢山の神様が飾られている。台湾の廟には大なり小なりこのような神様が飾られているのだが、ここの神様の表情は豪華と言うか、ファンキーと言うかなんというか…。
一通り参拝して外に出ると、目の前は屋台である。台湾の屋台は日本もそうだけど廟の近くで発展した場所が多いが、ここまで一体となっているのは非常に面白い。
パノラマで撮ってみるとこんな感じ。まあ、食べるには好都合なので、せっかくなのでちょっとつまんでみることにする。
新竹といえばなんといってもビーフンであろう。一番有名とされる創業100年の老舗「阿城號米粉」で、ビーフン(炒米粉)とつみれスープ(貢丸湯)を注文する。ビーフンは、肉そぼろともやし、それからニンニクベースの醤油がかかったシンプルなメニューであったが、醤油が非常にコクがあり、さくっと食べられる。貢丸湯は最初の歯ごたえこそちょっと硬いかなと思ったのだけど、つみれの濃厚な味わいがとても美味しかった。
その隣のいつ見ても行列が途切れない「柳家」という店で、肉燥飯を食べる。肉燥飯は魯肉飯とほぼ同じもののようだ。パクチーがちょっと多かったけど、油ののった肉と黒コショウがあわさって濃い味わいが非常に美味しかった。ただちょっと油がきつかったかな。あっさり味が好みの人には向かないかも。
惜しむらくは、まだ夕方にもなってなかったのでおなかが空いておらずこれで打ち止めになってしまったこと。やっぱり機内食をもっと軽いものにすればよかった…。
新竹は今後注目の街!
ざっと瞥見しただけの新竹であるが、今でも日本統治時代の建物が数多く残り、かつその多くが今でも現役で使われているのには驚いちゃ。昔の建物を大事に活用していこうという新竹の人たちの心意気には感銘するばかりだ。シンプルな建物が多いがゆえにこれまであまり注目を浴びてこなかったと思われるが、今の日本にこのような建物がどこまで残っているだろうか。
また城隍廟のような台湾らしいスポットもあり、何より地図を見てもらえばわかるように新竹の駅から徒歩10-20分圏内に主要スポットが全部集まっているのが観光客にはありがたく、台北から近いこともあって新竹は観光地としても大きく飛躍するポテンシャルがあるのではと思ったし、もっと日本人にも注目してもらいたい街だと強く感じました。
ただ、まだコロナ禍から立ち直ってないこともあるのだろうけど、新竹滞在中誰も日本人には出会わなかったし、台北ではあれほど通じる日本語も全く使う機会がなかった。出張者ばかりが新竹を楽しむのは、本当に勿体ないと思う。
本当はもっと行きたいところ、食べたいところもあり、特に日本統治時代の木造建築が残る「辛志平校長故居」と呼ばれる1920年代に建てられた新竹中学校長宿舎には目の前まで行ったのだが、休みだったのか見ることができなかった。また来てみたいです。
さて、続いては夕方ならではのスポットに向かいます。