たまの日記

最近は弾丸旅行ばかりです。

BRT大船渡線~道の駅高田松原・奇跡の一本松/ JREポイント半額特典キャンペーンで行く東北(5) (2022年6月)

※2022年6月の記録です。

BRT大船渡線

盛からは12:36発のBRT大船渡線バスに乗る。

かつての大船渡線の線路跡はバスの敷地となってしまい、虚しさを感じてしまうが、乗ってしまうと思ったよりも鉄路のイメージが色濃く残り、大船渡線に乗ってたかのような錯覚を覚える。

バスなので絶対数はたかが知れているが、停留所が増えたこともあり、思ったよりも地元の客がちょい乗りしているように感じ、一定の需要は獲得しているようである。

高台の線路跡から入江を臨み、交換場所でバスと行き違い。これは列車の旅だね。完全に廃止になるくらいならBRTとして残るのも悪くはないのかも。

ただ、ちょっとまいったのがスピードの遅さ。最高速度は60キロに抑えられているうえ、行き違い場所や道路との交差点でいちいち一時停止するので時間がかかる。せっかくのBRTのメリットが全く活かせられていないのは問題だ。なぁと改めて感じる。

陸前高田に近づくと、線路跡を含む市街地が津波で壊滅したため一般道を走るのだが、一般道のほうがよほどキビキビ走って気分が良い。かといって地方であっても市街地は渋滞しがちだったりするので、なかなかBRTも難しいものだ。

陸前高田の市街地は震災後11年が経つというのにまだ空き地ばかり。唯一の建物は、震災遺構の定住促進住宅跡だったりする。

陸前高田の駅舎も、旧駅舎をイメージして作られたもの。このあたりの線路跡は全く分からなくなってしまっている。

そんな陸前高田の街並みを走り抜け、高田松原津波復興祈念公園として整備されているエリアに設けられたバス停、奇跡の一本松駅で下車。

目的地の目の前に駅を設けられるのはBRTの良いところだね。

道の駅高田松原「まつばら食堂」

道の駅高田松原は、復興のランドマークとして、そして三陸観光の拠点として、多くの人を集めている。この日も多くの観光客が集まっていた。

道の駅高田松原

ここの「まつばら食堂」で遅めのランチとしようと思う。

海鮮丼セット(1200円)は、海の幸のラインナップこそオーソドックスではあるが、ボリュームたっぷり。そしてそばもついて1200円というリーズナブルな価格も素晴らしい。美味しくいただきました。
豊富な特産品からわかめなどいくつかお土産も購入。少しでも地域振興につながれればよいな。

高田松原と奇跡の一本松

食事を済ませて、公園内を海に向かって歩く。

追悼の場として綺麗に整備された公園ではあるが、とにかくだだっ広い荒涼とした光景が、海風の強さとあいまって寂しさを感じさせる。

防潮堤から広田湾を臨む。今日は全く穏やかな海であるが、11年前の津波はここに広がる高田松原の松を壊滅させたのである。

今ここで新たに松が植えられている。まだまだひよっこだが、いつかここが新たな景勝地として賑わうことを切に願いたい。

防潮堤を南へ進むと、震災遺構である陸前高田ユースホステル奇跡の一本松が見えてくる。

このユースホステルがあったおかげで、唯一生き残ったという奇跡の一本松。今は生きてはいないのだけど、震災直後に一本だけぽつんと残っている姿は、どれほど多くの人たちを励ましたのだろうと思う。

道の駅高田松原の建物に戻り、反対側にある東日本大震災津波伝承館を見学。

東日本大震災津波伝承館

津波で破壊された気仙大橋の橋げたの一部が展示されており、津波の威力の大きさを改めて感じる。

そして写真には撮れなかったが、震災直後の災害対策室を模したコーナーに流れていた、復旧に当たり道路を整備(啓開)した人たちのドキュメント映像がとても印象に残った。そもそも啓開という言葉すら初めて知ったのだが、震災直後、余震も頻繁に起きていた中で、あれほどの道路を整備することがいかに大変だったことか。当たり前のように感じていたことが実はそうではないことを今頃知った。

震災の時にはこのような人たちの奮闘があったことも忘れてはならない。

伝承館を出ると、北側に震災遺構の旧・道の駅高田松原が残されている。びっくりするのは津波が襲ってきた位置の表示。道の駅の文字のあたりまで来ているとは…これではここにいては助かるすべなど全くない。高台への避難が重要であることを改めて実感する。

1時間半ほどの滞在ではあったが、震災の記憶を今一度思い出しながら、復興に向けて海の幸や特産品を愉しみ、東北の未来に思いをはせたとても充実した時間を過ごすことができた。一度来たかった場所であり、大変満足です。

さて、東京に向かって移動しましょうか。